下関市田倉の勝山御殿跡

勝山御殿跡

下関市田倉の勝山御殿跡です。城跡なので少し高台になって開けたところにあるのですが、住宅街の道を奥へ奥へと行った山のふもとにあるので、地元の人以外はあまり知らないかもしれません。

 

 

勝山御殿跡

今は公園(勝山地区公園)として整備されています。この石段は復元されたものだと思います。幅も高さも登りやすい。

 

 

勝山御殿跡

城の建物の跡はなくて城壁の石垣だけが残されています。

 

 

勝山御殿跡

階段上の広場では(この日は緊急事態宣言が解除される前の10日だったのですが)

ただトイレを借りに来た人だとか、サッカーや野球を楽しんでいた子供たちとか、柔軟体操をしている人とか、

結構沢山の方が来られてました。

 

 

勝山御殿跡

 

文久3年(1863)、長州藩が攘夷を決行し、関門海峡の外国船に砲撃を開始しました。長府藩主毛利元周は、外国船の報復攻撃に備えて、海岸に近い串崎城麓の藩邸を離れ、覚苑寺に仮住まいします。そして、わずか5ヶ月で急造した藩邸が勝山御殿です。(下関市公式観光サイト 楽しも!)

 

 

 

 

 

@choboch

negi

 

 

 

 

 

 


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