第428回祖母から孫への譲位 前のページへ戻る

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第41代持統天皇の「持統」は第26代継体天皇の「継体」と並んで、
皇統の護持、国体の継承という意味において特別な名前であるようです。
その名前が示す通り持統天皇と継体天皇の皇位継承は多難であったようです。

 

継体天皇は先代の武烈天皇に後継者がいなかったため、
5代も遡って血縁者の中から適任者を探し出して後継者としたそうです。
しかも、都がなかなか定まらず、かなり苦労したようです。

 

持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の皇后になる人物です。
持統は天武との子の草壁皇子を天武の次の天皇にしようと考えますが、草壁皇子は皇太子のまま亡くなります。
そのため、草壁の子の軽皇子を皇太子にしようとしますが、あまりに幼すぎたため(7歳)、
軽皇子の成長を待つ間、つなぎとして自ら天皇に即位します。

 

軽皇子は14歳で即位して文武天皇となりますが、祖母から孫への譲位はまだ続きます。

 

やっと即位した文武天皇は25歳で崩御してしまいます。
文武の子の首(おびと)皇子はまだ幼かったため、やはり中継ぎとして、祖母(草壁皇子妃)が即位して元明天皇となります。
その後、元明は老いを理由に娘の氷高(ひたか)皇女(文武の姉、首にとっては伯母)に皇位を譲ります。
氷高皇女は即位して元正天皇となります。中継ぎの中継ぎですね。
首皇子は24歳で即位して聖武天皇となります。

 

祖母から孫への譲位って、どっかで聞いたことがあるなあ。と思ったら、「天孫降臨」ですね。
天照大御神の子、瓊瓊杵(ニニギ)尊の父はどうして孫に譲ってしまったのでしょうか。
さらに「神武東征」というのもありますね。
九州から東征し、大和に王権を打ち立てた神武天皇はニニギの孫、いや曽孫のようです。
ニニギの子や孫は東征の大役をどうして曽孫に譲ったのでしょうか。

 

神話は実際に起こった出来事がベースになっている。とはよく言われることですね。
『古事記』は天武天皇が編纂を命じ、元明天皇の時代に完成しています。
結局そういうことだったのでしょうか。
皇位継承に苦労した、持統、元明、元正の諸姉はさぞうれしかったでしょうね。

 

 

網戸の網を張替えました。
近頃流行りのDIY…というところですが、

満寿夫の周りでは皆さん普通にやっておられるようです。
なので、ワシも一丁やってみようか、と思い立ったわけです。

 

しかしなにぶん初めてのことなので、

サッシの掃除も含めて2時間近くもかかってしまいました。
材料費は、
虫の嫌がる網90センチ×2メートル:980円
網押えゴム4.5ミリ:190円
ワンタッチローラー:204円
合計1374円

 

実は、最初3.5ミリのゴムを買ってしまって、後で小さいことに気付き、交換してもらいました。
さらに、網のサイズがサッシのサイズぎりぎりで張るのにえらく苦労しました。
もしかすると使っているうちに隙間ができてしまうかも知れません。
まあ、その時は新しい網を買ってやり直すことにしましょう。
2回目は多分もう少し上手に出来るでしょう。たぶん。

 

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満寿夫でした。


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