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第306回『君の膵臓をたべたい』住野よる

S氏が読んで良かったのでぜひにと薦められました。

大ベストセラーなので、読まれた方も多いかと思います。

まだ読まれていない方はネタバレにご注意ください。

 

死を前にした人間に周りの人間はどう接すればいいのでしょうか。

わかりません。

できるだけ当人の希望をかなえてあげたいということぐらいでしょうか。

感謝の言葉はいつか言っておかなければと思うものの、なかなか口にできませんでした。

それを言ったらもうおしまいのような気がしていました。

「がんばって」とか「元気になって」とかしか言えませんでした。

今でも心残りです。

 

さて、『君の膵臓をたべたい』。

小説全体の雰囲気は暗くはありません。いやむしろ主人公たちの言動は極めて明るく描かれています。

しかし、テーマのことを考えると明るさの背後に重いものが見え隠れします。

背表紙のあらすじや帯の惹句で主人公は重い膵臓の病気で余命いくばくもないことがわかります。

しかも、物語の冒頭は、語り手の「僕」が彼女の葬儀に参列しなかったことの言い訳から始まっています。

なんということだ。

主人公の彼女はもう死んでしまっているのか。

物語は彼女の死を既定の事実として、二人の出会いから語り始められます。

物語は明るく語られていますが、待ちうける結末を思うと何となく気が重いです。

 

「君の膵臓をたべたい」。

この言葉は、具合の悪い臓器が、健康な人の同じ臓器を食べれば機能が回復するのではないか、

という、迷信のようなものを冗談まじりに彼女が「僕」に向かって発した言葉です。

もちろんそんなことは双方とも信じていないので軽く受け流されます。

しかし、物語の終盤、この言葉は別の意味を持つようになります。

ある才能を持つ人の臓器を食べればその才能を獲得することが出来るのではないか。

現代人もよく使う慣用句

「爪の垢を煎じて飲ませたい」

→「君の爪の垢を煎じて飲みたい」

→「君の膵臓をたべたい」ということです。

「僕」の獲得したかった才能とは、主人公の持つ周りの人と良い関わりを持ち、

関わりの中で自分を生かし、魅力を引き出していくこと。

語り手の「僕」はいつも自室に引きこもって本ばかり読んでいる人間なので、

膵臓をたべてでも獲得したい能力というところでしょうか。

そして、これは満寿夫にも大いに共感できるところですね。ひゃあ。(^_^;)

 

読後、S氏と臓器移植、臓器提供の話題になりました。

以前、臓器提供意思表示カードに「何でも」と記入しました。

https://blogs.yahoo.co.jp/ycco42100/14494763.html

どうせ、燃やしてしまう臓器なら、必要としている誰かのお役に立てれば、

こんなにうれしいことはない。と思っていたのですが、

S氏曰く。

「タバコも吸うしお酒も飲むでしょ。血管も硬そうだし、医者からはねられるよ。

 移植するならやっぱり若くて健康な臓器でなくちゃ。」

そうだったのか。とほほ。

 

満寿夫でした。

 


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